【海外】イタリアで出産した時の話②

この記事を書いた人

イタリア人の夫を持つ在伊日本人妻。イタリアにて女の子を出産
在伊歴は5年程経つが、いまだにイタリア語初心者(!)
イタリアで日本人の為の情報を探すのは本当に大変・・・
というわけで忘備録を兼ねたイタリア生活情報を発信していきます。


サトウ

無事に分娩台に乗る事が許可された自分。

もうこれで産める!!もう終わる!!もうすぐ終わる!!!

激しい痛みのために、赤ん坊が生まれるという奇跡よりも痛みから解放されるということしか頭になかった。

赤ん坊には申し訳ないとは思っている。

分娩台に乗ってから体感15分、最初は呼吸を逃がすように言われたが、ようやくイキんで良いと許可された。

「排便をする時のようにイキむのよ!!」

なるほど、分かりやすい。分かりやすいがいかがなものか。

ツッコみたい自分と、ツッコめるような状況にない激痛の中、半笑いの自分。相当気持ち悪い表情をしていた事は確実だが、そんな私に医師たちは優しかった。

ここでようやく夫の入室を許可される。

おいお前!3日ぶりだな!

しかしそんな悠長な事を言う暇もなく、最後のイキみ、2回分だけ連れ添ってくれた夫である。

ここまで私は至極冷静に、誰よりも華麗にお産を進めていたと自負していたが、最後のイキみの時にちょうど股間に得体のしれぬドデカイものが挟まった状態で陣痛が終わってしまい軽くパニックになる。

「やばい!!なんか挟まってる!!でかい何かが!!」

股間に挟まっていたデカい何かが赤ん坊の頭ということは、冷静に考えれば言わずもがなであるが、なぜかその状況では、イキんだ拍子にうっかり自分の中の臓器が出てきてしまったのではないかと焦った。

そして無事に出産・・・

横にいる夫は感動

感動している夫を冷静に横目で見ながら、自分は感動する暇もなく胎盤を出す必要があった。

なぜか後陣痛で胎盤が出なかったので、ドクターが必死で腹を押して、無事に胎盤も産むことに成功。

この時めちゃくちゃ股が裂けた為に、地味に何針も縫われた。出産時だから耐えられたが、通常の状態なら叫んでいたことは間違いない。

とはいえ無事に出産終了!めでたしめでたし と締めたいところだが、そこで終わらないのがイタリア。

出産を終えた自分は今すべてが許されるという朗らかな気持ちで病室に戻ると

何ですかコレは

乾燥したトマトのペンネと乾燥したパンとただの水が用意されている。

私の為に昨日から作って用意してくれていたんですか?という位乾燥している

他のイタリア人達も同様に乾燥している食べ物を用意されていたので、私が何か不手際をしてしまい、何かの罰で乾燥した食べ物を用意されているというわけではなさそうである。

見た目は乾燥しているが、意外と食べたらおいしいのではないかと思い食べてみたが、これ以上にまずい物、食べた事あるかな、と記憶を辿るくらいまずい

出産という激痛を終えた自分はもはやこの世界に動揺することは何もない、と思った考えがほんの数十分で覆されてしまい、世界には私の知らないことがまだまだあるようだ、と謎の感動。この感情の高ぶりはホルモンのせいであろう。

入院から退院まで無料だから仕方ないと思いつつも、ここまで乾燥した食べ物を作るには逆にひと手間かかる、という疑問も残った。

まぁそんなこんなで母子ともに健康で終えられたことがなによりであった。

この後、2日間入院し、無事に退院である。 

2泊3日で退院というと日本では考えらないが、これがイタリアのデフォルトである。

実際1日目を過ぎたあたりで同室のイタリア人妊婦たちとの入院生活に耐えられず、

3日目に退院した時はようやく退院できるという気持ちでいっぱいであった。

私が3日間で発した言葉をまとめると3分未満であるが、彼女たちは起床から就寝までしゃべり続けている。

むしろ出産後にそこまでの体力が残っていることに感心である。

「この小さい子を守れる自信がない」という新米母の清らかな心の戸惑いなど、どこからも湧いてこず、

「この環境に自分があと1日耐えられる自信がない」

の一心で心身の回復を願ったのは言うまでもない。

本当に良かった、無事に退院できて。

以上でイタリアの出産記録は終わりである。

なんだかんだ言って、振り返ってみると面白かったというか、おそらく日本ではもっと神秘的なお産ができるだろうことは間違いないのだが、イタリアに住んでいる以上、この状況で神秘的な気分になれるかどうかは母子の感受性の豊かさにかかっている。

しかしながら、出産に思い入れのある人は日本で産んだ方がいい。これは確かな結論である。

私はおそらく、次回産む予定があってもイタリアで産む気はしている。

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